『明日、私は誰かのカノジョ』という漫画を読んで、’もし友達が風俗で働いていたとしたら、私はどんな言動をするだろう’ということを考えた。
この漫画にはそれぞれの悩みを持ちながら生きている女の子たちが描かれている。そのなかには様々な理由で風俗やパパ活、レンタル彼女を行っている子たちがいる。
私は、恵まれた環境で生きている。大学の学費を親が払ってくれて、学生のうちに1人暮らしするとなれば仕送りをしてくれるだろう。
恵まれているからこそ、隠す必要がないような健全なバイトだけで生活ができる。お金に困ったときも生死につながったり、助けてくれる人がいないわけではない。
このような恵まれている私が、身体を売って仕事する友達に何を言おうというのだろう。その友達が自分と同じように恵まれた環境で育っているか分からないのに。
学生がアルバイトで稼げる額には限界がある。大学の学費、生活費、その他必要経費を全部自分で払わなければいけない状態になったとしたら、普通のアルバイトだけでは回らない。そうなるとお給料の高い仕事を求めることになるだろう。
全て自分の力だけで生活している友達が、生活するために、生きていくために身体を売るお仕事をしているとする。その子に対して、仕事をやめた方がいいなどといい加減な説教をするのは自己満足だ。仕事を辞めさせたところでその子はどうやって生活を送るのというのだろうか。減ってしまった分のお給料をあげるから身体を売る仕事はやめて、と言うのなら納得できる。仕事を辞めた後のことまで一緒に考えなければ、たとえ相手を想って出た言葉であっても、ただ自分本位なだけだ。自分中心の基準で相手に助言すると相手を傷つけてしまうことがあるのだ。
しかしやはり、自分にとって大事な人であればあるほどに、危ない目にあってほしくないと思いで仕事をやめてほしいと願うだろう。しかし、自分に何ができるのだろうか。これはお金の問題だ。学生のうちであれば経済的余裕もないだろうし、あったとしてもそれを相手が受け取り解決するのだろうか。
環境によって危ない仕事をせざる終えなくなった若者たちを誰が救えるのだろうか。