いじめはどうしたらなくなるのか。
この解決策はあるのか。
”犯罪がない国はない。しかしこの国では犯罪は栄えない”
(映画『ダークナイトライジング』より)
この言葉はいじめ問題を理解するうえで重要なことを教えてくれている。
いじめをなくすことはできない。しかし、いじめが栄えない集団にすることは可能だ。
いじめは神出鬼没
いじめは思わぬところから発生する。友達同士のすれ違い、何かが気に食わない、優越感など発生源は様々である。反対に、仲がいいからこそ生まれるいじめもある。
例えば、とても仲がいいクラスがあるとする。いじめは絶対なし!みんなで楽しく、団結力!のような
”結束感が強いことは良いことである。しかし、結束力の強い集団の一つ怖いところは結束を
乱す異端児がいれば、猛烈に排除しようとするところ。その集団への愛が強い人ほど猛烈に”
”個人ではできないことも集団ではできてしまう”
(雨瀬 シオリ著『ここは今から倫理です。3』より)
好きという気持ちが裏目に出ていじめに発展してしまうこともある。
いじめは神出鬼没である。
未然に防ぐ対策や、いじめ防止講演などでは歯が立たない。
だから、いじめをなくす努力ではなく、いじめが栄えない努力をするべきだ。
いじめが栄えない集団とは
第三者の存在が重要である。
第三者とは集団に所属するいじめる側、いじめられる側でもない人のことだ。
学校教育でよく、「いじめを直接していなくても、見ているのはいじめをしているのとおんなじなんだよ」と声高に主張する教師がいる。
ほんとうにそうであろうか。
「助けたら、自分がいじめられる。だからこの行為は保身のための行為、自己防衛なんだ」
第三者のこの主張は正しい。
言い訳ではなく、心からの訴えであろう。
しかし、その言葉ですべてを片付けるのはよくない。まして友達であるならば。
いじめはいじめる側が多数であるからエスカレートする。たいていの場合、いじめられる側は1人あるいは少人数で、いじめる側は多数である。
つまりこの比率を崩してやればよい。いじめる側が少数になったとき、いじめは栄えないであろう。
しかし、ここに一つ怖い点がある。第三者がいじめられる側につき、比率が逆転した時、少数派となったいじめる側が反対に、いじめられる側になることだ。
下記に紹介するのは、雨瀬シオリ著『ここは今から倫理です。1』に出てくるいじめられっ子に寄り添える先生になりたいと目指す、元いじめられっ子の高校生男子と倫理の教師との会話である
教師:”善なるものは吾これを善とし 不善なる者も吾またこれを善とす 徳は善なればなり” 老子
生徒:どういう意味ですか
教師:善人も悪人をみな善人だということです
生徒:いじめっ子も善人だと思えっていうのですか…?
教師:そうです。そうしなければ、あなたはいつかいじめっこをいじめてしまうかもしれません。
(雨瀬 シオリ著『ここは今から倫理です。1』より)
第三者はいじめられる側の救済をする際、いじめられる側、いじめる側の両者の”理解”を忘れてはならない。
第三者が自分たちの正義を振り回し、片方を正義、もう片方を悪と決めたとき、いじめに終止符が打たれることはない。
帰着点
いじめが栄えない集団とは何か
第三者なる者たちがいじめられっ子の味方をすることではない。
いじめという行為を否定するのと同時に、いじめっ子、いじめられっ子という仮面を脱いだ彼らを知ろうとする第三者の存在である。
紹介
記事の中で引用させていただいた作品を改めて紹介します。
①ダークナイトライジング
②ここは今から倫理です。
▼紙書籍(原作漫画)
▼電子書籍
▼小説版