木漏れ日blog

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映画『世界から猫が消えたなら』名シーン・考察

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少し不思議で落ち着いた雰囲気の物語ですが、観るものの心に深くメッセージを残す作品となっています。

命の尊さ、生きるとは死ぬとはなにか、大切な人たちとのつながりとは何か、日々を大切に過ごすヒントをこの物語から得られるかもしれません。

 

作品紹介

詳細

川村元気著のベストセラー小説を、実写映画化したヒューマンドラマである。(2016年5月14日劇場公開)

あらすじ

ある日、脳腫瘍で余命残りわずかの僕の前に悪魔が現れた。悪魔は世界から大切なものを消す代わりに僕の寿命を1日延ばしてくれるという。1日生きるために大切な人とのつながりや思い出が消えていく、それと同時に今まで気づくことができなかった大切な人がかかえていた思いや心のうちを知ることになる。そうした出来事を経て、僕はある決断を下す。

 

*以下、ネタバレを含みます

 

名シーン5選

名シーン➀:僕は映画が好きでよかった、映画は僕に親友をくれたから

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主人公の僕が人生最後の日、親友のたつやにかけた言葉である。

 

大学生だった頃、映画をきっかけに、たつやと僕は友達になった。そして大人になっても映画が僕とたつやをつないでくれていた。

映画を消すことにした悪魔は僕に「映画はただの娯楽、食べ物や水より大事か?命よりも大事なのか?」と問いかけた。しかし、僕によって映画はただの娯楽ではない。僕にとって映画は大切な親友とのつながりであったのだ。映画がなければ、僕が映画が好きにならなかったら、僕の人生にたつやは登場しなかったであろう。

 

きっと誰かにとっての映画と主人公の僕にとっても映画の価値は全く異なる。

 

名シーン➁:何かいい物語があってそれを語る相手がいる、それだけで人生は捨てたもんじゃない

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これは、映画「海の上のピアニスト」ででてくる名言である。僕とたつやはお互いに対してこの言葉を伝えた。

 

叶えられなかった夢、やり残したことや後悔はある。しかし、親友と映画について話し、そうした日々があったこと、それだけで僕にとって素晴らしい人生だった。僕が消えても世界が変わるほど何かたいそうな事をしてきたわけではない。しかし、親友がいたことで僕の人生は素晴らしいものであったことを名言を通して伝えているのだ。

 

名シーン③:生きてやる

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大学生時代、僕が彼女とアルゼンチンに旅行した時に世界を渡り歩くトムさんと出会い、一緒にメキシコを観光し楽しい時間を過ごした。しかし、次の旅路に向かうトムさんは僕たちと別れてすぐ事故にあい死んだ。その後僕と彼女はイグアスの滝に行ったが、彼女は「トムさんが死んでもこの世界は何も変わらない」「私が死んだら泣いてくれる人はいるのかな。それともこの世界はいつもの変わらない朝を迎えるのかな」そう呟いた。そして滝に向かって叫んだ。”生きてやる”

 

自分がこの世界から消えてもこの世界は何も変わってくれない。それなら生きてやる、死んでたまるか、という大切な人のあまりに突然であっけない死を体験したことで出た彼女の心からの叫びが描かれたシーンである。

 

名シーン④:ありがとう、あなた(悪魔)のおかげでこの世界がかけがえのないものでできているって知ることができた

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もうこの世界からなにも消さないと決断した僕が、悪魔に伝えた言葉である。

 

この世界から消していいものなんてない。それは”もの”としての価値だけでなく、人とのつながりや思い出という価値があるからだ。一度失うことで初めてその大切さや尊さに気づくことができる。僕は命と引き換えに”もの”を消して大切な人とのつながりが消えてしまった。しかしそれにより、世界は愛であふれていることに気が付くことができたのだ。僕が生きてきた何気ない日常は多くのかけがえのないと人ともので作られていたのだ。

 

名シーン⑤:生まれてきてくれてありがとう

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物語のラストシーンで回想シーンとして父が生まれたばかりの僕にかけた第1声である。

 

この映画を締めくくるのにこれ以上の言葉はない。僕が死んでもこの世界はいつもと同じ朝を迎える。しかし、僕が生きていたことに意味があった。僕が生まれたことに感謝してくれる人、僕が死ぬことを悲しんでくれる人、僕と出会えてよかったと言ってくれる人、そういう人たちがいることが僕が生きてきた証であるのだ。